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「ウチの会社」という非常識  取り締まられ役返上

 取り締まられ役返上
エレクトロニクス
企画部門
2000.1.28


 どうにも気になって仕方のないことがある。自分が属している会社について語る時、無意識のうちに「ウチの会社」という表現を使うことがあまりに多くないか。

「ウチの会社」……まさに「ムラ社会」を象徴するような言葉である。
この言葉が気になりはじめたのは、米国留学中のことだった。そのまま英語にすると"My company"……「あんたはオーナーかい?」という感じになる。
 日本人を含むアジア一部の人達の発言の中にこの"My company"が良く聞かれたのに対し、アングロサクソンの人達の発言は、"In XXX's case", "From my experience, at XXX"という感じで、自分は「その一構成員に過ぎない」とか一種客観的なタッチで語られることが多かったように思う。
 その人が自分の属している会社のことをいかに愛していたとしても、"My company"という言葉はあまり聞いた記憶がない。



 特に大企業において、「仕事」に始まって「終身雇用的な居場所」「福利厚生」「教育」……その他諸々をパッケージで提供してくれる環境が「ウチの会社」いう言葉を醸成してきたのだろう。
 しかしそこで提供されるものは、その会社の暗黙の文化・教えなりを前提にして提供される。考えてみれば「宗教」と同じような感じである。
「教是」に従って教えと地位・安住の環境が提供されれば、そこに属する人にとってはその世界が自ずと「当たり前のもの」になってゆくことが多い。これも宗教的と言えよう。

 ここが怖い所で自分では「当たり前」と思っていたことが、いつの間にか「世間的には非常識」になっていることに気が付かないことが多いのではないか。
「自社の製品なりビジネスのやり方は最上のものである」
 セールストークとしてそう思っているのならともかく、本心そう思ってしまっては誠に恐ろしい。
「市場の環境はこうです。その中での技術や業界の動向はこうです。よって当社はかっかくしかじかの商品やサービスをご用意しております。従って、皆様のご要望に必ずお応えすることができます」というシナリオの中には、自分達のPRESUME(仮定)が数多く含まれているにもかかわらず、「当たり前」の感覚はPRESUMEをFACTに変えてしまう。

 そうしたバイアスを防ぎ、また最新の市場・技術動向を自ら学ぶという目的で「社内教育」が整備されていたりするのだが、考えてみればそうした社内教育の内容も、自社の製品なりサービスを紹介し、その前提となる市場・業界・技術動向はどうである、というストーリーな訳で、前提の分析に既に自分の信じる所に従った「バイアス」が入ってしまうのだから厄介だ。
 自社の最新の製品なりサービスの内容について社員各自が深い知識を持つことは勿論必要だ。しかし、その前提になっているものをむやみに「信じる」のではなく、冷静かつ客観的に「考える」ことが必要だ。

 例えば、自社ではなく競合他社のホームページを覗いてみる。こんな簡単なことを通しても、市場の動向について自分達が見落としていたことに気がついたり、業界動向分析でまったく自社の中では触れられていない動向がわかったり、一般技術の説明について自社内のあらゆる教育よりよっぽどわかりやすく説明してくれていることもある(これがまた、日本企業のホームページを見ても、あまり発見がない所がおもしろく、また悲しいこと)。

 製品・サービス面でもさることながら、自分の置かれている生活環境も怪しげな前提に基いて成り立っていることも、自ら外の情報に触れてみることで見えてくるはずだ。

 自社の枠にとらわれず、あらゆる利用可能な情報は自分から利用し、組織の属員であったとしても「信じる」のではなく、客観的に「考える」自分を自ら育ててゆくこと。これが大事だと思う。

「そんなことはわかってるよ」と言われれるのならば、その方が良いのだが……。

       

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