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中間管理職をタコ壺から引きずり出そう【1】  織田 聡

織田 聡
2000.1.17


 トップは変わってきたが……

 やれ「リーダーシップがない」だの、「自分の言葉で語らない」、「顔が見えない」と言われてきた日本の大企業のトップも、「このままでは大競争を勝ち抜けない」との認識が浸透してきており、トップ自らが重要で大胆な意思決定を司々(つかさつかさ)任せにせずに行なう例がこの1,2年で増えてきた気がする。
 例えば住友銀行の西川頭取や興銀の西村頭取のメディアでの発言を見ると、“特殊法人”的な発言しか表にしなかった一昔前の銀行経営者とは一味違う経営者像を外部に発信しており、「俺達は変わるんだ」という意気込みが伝わってくる。

 メディアでの発言を見ると、外部向けだけでなく、行員に向けても「変わってくれ、そうでないと生きていけない」と訴えているように思われる。(社内報を通じての発言よりもよっぽど効果があるかも知れない)。
 トップが自分の頭で動き自分の口で語ることは企業変革の十分条件ではないが必要条件なのであり、御神輿と言われてきた経営者が変わってきたことは日本の企業社会の再生に向けて歓迎すべき事象である。

 中間管理職が……

 ところが、である。銀行に限らずいろいろな業種企業の将官たるトップマネジメントが変革に向けて動き始めているのに、中級将校である中間管理職が今までの思考、行動パターンを(意識的にせよ無意識にせよ)墨守し、企業が外部環境に迅速、的確に適応する動きを減殺している現実にしばしば驚かされる。
 筆者は経営コンサルタントの端くれとしていくつかの日本企業の業務変革、組織改編に携わったことがあるが、中間管理職層の守旧性には歯がゆさを感じさせられることが多い。彼らが変革にたとえ賛成しなくてもいい。権限、ポストを放棄し、何もしないだけだったら、会社に与える損害は給料と自分のスペース代くらいだろう。

 でも彼らが給料をもらいながら自分の利益、権限、メンツのためにトップの意向を無視し、若手からの優れたアイデアを潰すことになれば、企業に与える害は給料泥棒の比ではない。 しばしば中間管理職は自分の利益、権限、メリットを「会社、属する部門利益」のオブラートに隠し、あたかも自分を義士に仕立て上げているところが始末に終えない(役員にもそういう手合いが確かにいるが、本論の趣旨ではないのでこれ以上は触れない)。
 確か年末近くの日経ビジネスに、電子メールを敵対視し新しい社内コミュニケーション・ルールをローカルで棚上げし、皺を部下に押し付けているミドルのミニ特集があった(面白いので是非後一読をお勧めする)。

 社内官僚

 戦後の経済成長が軌道に乗ると、混乱期を引っ張ったカリスマ型リーダーは次第に減り、企業内の権力の実質的重心は部長、課長という中間管理職層に下方移動した。不確実性が減るに従い組織の実質的な意思決定者層が中間層に移動するのは、官僚組織に共通して見られる現象である。
 監督官庁→業界団体→個別企業 というモ戦後国家総動員体制モの枠内で力をつけた日本の銀行、重化学工業企業の多くにも、「権力重心の下方移動」という現象が起こっても不思議ではないだろう。ウォルフレンが日本の官界に対して指摘していることは、企業にもあてはまるのではないか。

 一旦権力の重心が下方に移動すると、上になったときに強い指導力を発揮しそうなリーダーは忌避、面従腹背の対象となる。トップに就くのは、「和を大事」にし、「前社長の路線を踏襲」し、「まず全国の工場を回って現場の声をよく聞く」ことはするが、株主、顧客のことは見えない御神輿型人物となってしまう(余談だが、社長就任のコメントに上記のようなセリフが出てきたら、その会社の株を買うのは止めておいたほうが良いと思う。 まず社長になったら重要顧客のところにいくべきだろう)。

 リーダーシップを発揮する意志の無い御神輿型トップが不在となれば、中間管理職層にはセクショナリズムが横行する。会社全体の利益ではなく、属する部門の利益、発言力確保が「お家の一大事」となり、「企業の競争力確保、向上に何が必要か」という視点は後ろに引き下がらざるを得ない。「省益あって国益なし」、「課益、局益あって省益なし」という現象が企業に平行移動したわけである。

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